伝統的七夕と中秋の名月 2002年版(平成14年版)
私たちが現在使っている暦は太陽の運行に合わせて作られた太陽暦であるので,1年の長さや季節は年々変わらない.一方,月の動きは日々変わる.夜,月のない日があることをお気づきだろうか.明治五年までは太陰太陽暦が使われており,一日(朔日)は天気に関わらず,いつも月の出ていない日であり,十五日頃は丸い月であった.そして,1カ月の長さは29日または30日であった.これは月が地球の周りを1周し,太陽と同じ方向に再びくる周期である1朔望月が29.53日によるものである.1年について見てみると,月の12カ月は29.53×12=354.36日,1太陽年の長さは365.24日であるから,月と太陽の1年は約11日の差があり,何年かに1カ月の閏月を入れて季節のずれが大きくならないようにしていた.1年の長さは太陰太陽暦施行時代で最短353日から,最長385日までの幅があった.
江戸時代,盛んに行われていたという七夕は,この太陰太陽暦で行われていた行事で,七月七日の夕方である.七月は秋の初めであり,孟秋とも呼ばれた.ちなみに八月は仲秋と呼ばれた.七月はどう決められていたのだろうか.細かい規則は省くことにしよう.
季節を表すための指標として,現在でも使われている二十四節気が計算されていた.二十四節気は12の節気と12の中気で表される.七月の節気は立秋,中気は処暑であり,この処暑をふくむ,朔日から晦日(みそか)までの1カ月が七月となる.現在の暦で処暑は8月23日頃になる.この日が含まれる1カ月を考えると現在の暦で7月25日ぐらいから9月21日頃までが考えられる.この間に七月七日があるのだから,7月31日ぐらいから,8月29日ぐらいの間に七夕の行事が年々行われていたことになる.この方法で数えると,2001年は8月25日,2002年は8月15日となる.現在の七月七日は梅雨の季節にかかる.それに比べれば星を見て愛でる機会は増えるだろう.
中秋の名月は太陰太陽暦の八月十五日の月を愛でる行事であり,2002年の中秋の名月を上の方法で数えると9月21日になる.十五夜は毎月あり,朔日(一日)から15日目の月をいう.望(満月)と必ずしも同じ日にはならない.望は月が太陽と正反対の方向に見える時で,視黄経の差が180度になる時であり,十五夜とは違う定義である.毎月ある十五夜の中で八月の十五夜を中秋の名月として特別に鑑賞するのはどうしてであったのだろう.この時期は気候もよく空気も澄んできて月の出の時刻の前日との差も小さい.
都会などでは夜の空は明るくなって見にくくなっているかも知れないが,時には広い宇宙に思いをはせ,夜空を見上げてみよう.