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補償光学(AO)を用いた分光観測の始動 2002年版(平成14年版)

 2001年5月,国立天文台すばる望遠鏡で補償光学系(Adaptive Optics system:以下AO)を使った本格的な分光観測が始まった.AOとは,時々刻々変化する地球大気の揺らぎによる波面の乱れを測定し,特殊な形状可変鏡でこの乱れを打ち消すことで,ほぼ回折限界のシャープな星像を得る技術である.AOを使うことにより,すばる望遠鏡では近赤外波長域で0.1秒角を切るハッブル宇宙望遠鏡に匹敵する星像を得ることが可能となる.多くの大口径望遠鏡ではすでに撮像観測にAOが定常的に使われつつあるが,分光観測への応用は始まったばかりである.
 すばる望遠鏡のAOは2000年12月に近赤外分光撮像装置IRCSを用いてはじめて回折限界像を得た.今回は同装置を用いて離角わずか0.12秒角の褐色矮星の連星系HD130948B/Cを分光することに成功した.この天体は,2001年2月,ハワイ大学グループによるGemini North望遠鏡のAOを使った撮像探査観測によって,太陽系近傍の明るい星HD130948(距離18pc)から2.6秒角の位置に発見された.
 褐色矮星の連星系は,軌道を確定することにより,褐色矮星の質量を直接検証できる天体として注目されている.とくに近接連星系の場合,公転周期が短いため,数年で軌道を確定することができる.これまでは,低質量星の理論モデルを用い,天体の明るさや温度から質量を推定していた.
 しかし,別の方法で正確な質量が求められれば,逆に従来のモデルを検証/較正することが可能となる.現時点でこのような連星は数個が知られており,ハッブル宇宙望遠鏡や地上8m級望遠鏡を使った精力的な探査が現在も行われている.
 褐色矮星連星の主星と伴星は典型的には0.1秒角程度しか離れていないため,それぞれの光度を求めるには大口径望遠鏡でAOを用いた撮像が前提となる.また,それぞれの星の温度を決定するにはAOを用いた分光観測が必要となるが,現在,8m級望遠鏡でAOを使って分光観測できる観測装置は世界で2機(すばるIRCS,および,Keck望遠鏡のNIRSPEC)しか稼働していない.
 今回の観測によって,HD130948B/Cの近赤外線スペクトルに水蒸気による深い吸収が見つかった.これは,これらの星大気が水分子の解離する温度より充分冷たいこと(1900-2100K)を意味する.X線活動度などからわかっている主星HD130948Aの年齢(5億年から10億年)を考慮すると,HD130948B/Cは,たしかに通常の星として継続的に輝くことのできる質量限界(0.075)より軽い褐色矮星連星系であったことが明らかになった.現在,定期的なAO撮像観測によって公転軌道から力学質量を求める研究がすすめられつつある.
 AOを使った分光観測により褐色矮星連星系が確認されたのは,一足先に運用が始まったKeck/NIRSPECによるGl569Ba/Bbにひきつづき,これで2例目となる.多くの連星系について,AOを用いたこのような研究がすすむにつれ,現在提唱されている褐色矮星の光度および温度,およびその時間進化のモデルを直接検証することが可能となるだろう.
 今後,AOを用いた分光観測は,近接連星にとどまらず,進化末期の星を包むダストシェルや若い天体のジェット,原始惑星系円盤,密集した星団や活動銀河の中心核(AGN),遠方の銀河の分光など,あらゆる天文分野に応用されていくと期待される.

【 後藤美和/小林尚人/高見英樹 】

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