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モデル生物、生物多様性 2004年版(平成16年版)

 生物はきわめて多様な姿を示して生きている.しかも,生きていることを示すためには,実に複雑な現象を織り成し,顕現している.そのように多様で複雑な生物はまた,生きているという現象を演出しているという点ではすべてに共通な性質をもってもいる.すべての生物に共通の性質なら,単純な型を用いて解析した方が研究の効率は高い.20世紀において,大腸菌が生命現象を解析する格好の材料とされたのはそのためである.
 大腸菌のように,生物の生きざまを代表して,生きていることを示すさまざまな現象の解析の材料として利用される生物をモデル生物という.生命現象の解析は,大腸菌をモデル生物として有効に活用し,20世紀後半に飛躍的な発展を遂げた.
 大腸菌の生物学は,分子遺伝学などを展開させ,生き物すべてが演出している,生きているという現象を科学的に解明した.しかし,大腸菌で分かったことは生物界全体に通じる部分もあるが,そうでない部分もある.
 原核生物だから,核の性質については大腸菌の研究で分かるはずはない.
 原核生物はDNAが核膜に包み込まれた核はもたないのだから,核をもたない大腸菌の研究で,核の性質が解明されることはありえないのである.そこで,真核生物での研究が必要だということになり,酵母が研究材料とされ,モデル生物とされて研究が進展した.さらに,動物では多細胞体でありながら細胞の数が限定されている線虫のC.エレガンスが研究材料とされた.
 モデル生物として,昔から生物科学の解析の対象とされてきたものとして,ショウジョウバエだとかマウスが著名な例である.植物でも,花や葉の構造や機能を解明するためには,種子植物を用いなければならないのは当然で,シロイヌナズナがモデル植物として使われるようになったのは,種子植物が遺伝的に解析されうるようになってからの比較的新しい話である.
 種の研究をする場合も,種に属するすべての個体を対象とすることはできないのがふつうである.ならば,代表的な個体で種の性質を明らかにしようとするのだから,その(複数の)個体が“モデル”個体ということになるかもしれない.生物学の研究は,基本的にはモデル生物を対象に生き物に普遍的な性質を明らかにするものであるが,結果としてはすべての種,すべての個体の特性が解明されなければ終わらない科学であるともいえる.

【 岩槻邦男 】

■トピックス後日談■

「モデル生物,生物多様性――14年後」
 モデル生物は,もともとは分子生物学の領域で使われるようになった用語で,生物界に普遍的な現象を,特定の生物種で解析する場合,その種の生物をモデル生物と呼んだものである.多様な構造,機能をもつことが特性である生物にとって,生きている現象を普遍的な原理原則として捉えるのに,いろんな表現をバラバラにみるより,特定の種が示す現象から普遍化する方が科学的であるという考えにもとづく解析法に則ったものである.
 モデル生物という用語に馴染む研究が発展したのは,分子生物学が興隆する20世紀後半である.一方,生物多様性という用語が研究の場でふつうに使われるようになったのは世紀が改まってからであり,多様性を意識した生物学者の科学的取り組みが学会ででも注目されるようになったのは,生物多様性条約についての認識が徐々に拡がり始めてからだったといっても極言ではない.
 生物多様性は,科学的には漠とした概念だから,具体的な対象として捉えるのが難しい.現生の多様な生き物たちの動態を科学的に把握するとはどういうことか,個別の現象の解析は進んでいても,生物界に生きる総体として捉える術はなかなか見つからない.しかし,生物は個々に生きているだけでなく,すべての種がお互いに直接的,間接的な関係性をもちあって生きているものだから,総体を捉えなければ生き物の実体を捉えることにはならない.
 絶滅危惧生物についての組織的な調査が始められたのは,欧米では20世紀の中葉から,日本ではやや遅れて1980年代に入ってからである.これは,絶滅に至る生物学的現象を個別に解析するだけでなく,生物界全体の動態をあとづける手がかりとしての調査でもあったので,生物多様性の動態を絶滅危惧生物をモデルとして捉えようとしたものである.地球上に現生する生物の種多様性について,その基盤情報を得るにもほど遠い科学の現状からすれば,絶滅の危機に瀕する生き物たちを抽出してその動態をみることは,生物多様性の総体が現に地球上に生きている姿を捉えるための科学的手がかりとしては有効な手段である.モデル生物とはいわないが,生き様を捉えるモデルであり,生き物を種とか個体の階級でみるだけでなく,総体として見る意味では,モデル生物である種に相当するものである.
 同じことは,生き様を細胞の階級で解析する場合にも当てはまる.解析技術の進歩に応じて,過去10余年の間だけでも,科学による細胞の取り扱いは,大幅に多様な観点にもとづくように進歩した.とりわけ,自然に発生するだけでなく,細胞の成長過程を操作することで,本来の機能を知る上でさまざまな実験的解明ができるようになったことは,生物学の解析法の進歩であり,生き物の示す現象のいくつかの面を科学的に解析できるようにしたものである.その成果が,技術に生かされるだけでなく,生きているとはどういうことかを問う科学にも大きな貢献をもたらしている.

【 岩槻邦男(2017年10月)】

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