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クローン羊「ドリー」の誕生

 1997年2月27日号の"Nature"誌の表紙を飾った1頭の羊は,世界中に大きな衝撃を与えた.イギリスのロスリン研究所のI.Wilmut博士らが成体の羊の乳腺から切り出し培養した細胞から取り出した核を未受精卵に移植した.そしてクローン羊「ドリー」を作ることに成功したというものであった.クローン生物とは遺伝子型を全く同じくする個体群をさす.このクローン羊が大きな衝撃を与えたのは,1つは哺乳動物であったことと,もう1つは成体の細胞を使っていることであり,そのことがすぐにクローン人間の可能性とその危惧の念を想起させた.それゆえ,各国,とりわけ欧米の先進諸国はいち早く「クローン人間」の研究の禁止と研究上の倫理面の法制化を決めた.
 ところで,クローン生物の作成は今回が初めてではない.ニンジンやタバコの幹を細断化し,試験管内でそれぞれの断片を培養すると完全な個体(まさにクローン植物)に育つことはよく知られている.脊椎動物では核移植によって成功したのはクローン蛙が最初であった.1952年,アメリカのR.BriggsとT.J.Kingはバラバラに解離したヒョウガエルの胞胚(細胞数約5000個)の1個の細胞核を,除核した未受精卵にミクロピペットを用いて移植して,オタマジャクシ幼生まで育てた.これは脊椎動物では初めての核移植によるクローン生物であった.その後,1962年にイギリスのJ.B.Gurdonはオタマジャクシ幼生の小腸の細胞核を取り出し,それを除核した未受精卵に移植して,その移植された核の卵から再びオタマジャクシ幼生,そしてまれに成体まで成長させた.この時,移植された核は,オタマジャクシの小腸というすでに分化した器官を構成する細胞核でも,全能性をもって発生し得ることを示し,クローン蛙ができることを示したのである.この研究成果が発表された時も今回と同じように,社会的に大きな衝撃を与え,「クローン人間」の可能性についても話題となった.その後,Gurdonらはさらに成体の蛙の水かきの皮膚の体細胞を培養して,そこから細胞核を取り出し除核した未受精卵に移植,それでもわずかではあるが(0.1%),クローン蛙をつくることに成功した.クローン蛙が誕生してからクローン羊の発表まで45年間かかっているが,そこには克服すべき技術的に困難な問題が多くあったといえる.すなわち蛙の卵に較べて哺乳類の卵が小さいこと(約1/10の大きさ),手術できる卵の数が少ないこと(1回に採卵される数は約1/1000),除核などの顕微鏡手術と手術後の胚発生の容易さ(蛙は生理食塩水だけでよいが,哺乳類は代理母の子宮に戻さなければならない)など,様々な要因があった.しかしながら今回,クローン羊が生まれたことは,基本的にはクローン蛙の研究によるところが大きい.例えばクローン羊の成体の乳腺細胞から体細胞を取り出して,一度細胞培養を行っている.これはクローン蛙の成体の体細胞を用いた時にも使った技術で,この細胞培養を行って移植する体細胞を飢餓状態にさせたことが,1つの成功のカギといわれている.このようにして生じたクローン羊「ドリー」のもつ生物学的意味は,次のように考えられる.

(1) 成体になった個々の体細胞の核も全ての細胞のゲノム(1セットの遺伝子量)をもっている.それゆえ,どこの体細胞からでもクローン個体をつくれることを意味している.
(2) 発生の進行が早い段階のものでは,クローン個体をつくりやすいが,成体のように完全に成長しきったものでは,クローン個体はつくりにくいものの,それでも可能である.今回の「ドリー」の誕生では,277例中の1例(0.36%)であった.
(3) 核移植という技術によって,雄と雌との生殖行動を経ずに個体発生をするということは,ナチュラル・ヒストリーにおける“種(species)”の概念を崩すことになる.クローン動物は“新しいタイプ”の種の出現といえよう.
(4) クローン羊の誕生は,哺乳動物でも可能なことを示し,技術的には「クローン人間」の誕生を可能にしたといえる.しかし,霊長類,とくに人間におよぶ可能性については,研究上でも強いガイドラインが必要であり,倫理面からも行うべきでないと考えられる.

 ただし,ヒトを中心とした霊長類以外のクローン生物については,家畜の繁殖や優良品種の開発などの生殖工学への応用,医療分野での遺伝病や臓器移植などへの応用が考えられるであろう.これらも含めて科学技術の発展が倫理と技術を改めて問い直す大きな問題となっている.

【 浅島 誠 】

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