「ハッブルの法則」から「ハッブル-ルメートルの法則」へ
2018年8月にウィーンで開催された第30回国際天文学連合(IAU)総会で提案された,「宇宙の膨張を表す法則は今後『ハッブル-ルメートルの法則』と呼ぶことを推奨する」という決議が,同年10月27日に会員の電子投票で成立した.
遠方銀河の赤方偏移から求まる視線速度(後退速度)と銀河までの距離が比例する「速度-距離関係」は宇宙膨張のもっとも重要な観測的証拠である.この証拠を初めて示したのがアメリカのハッブル(E.Hubble)が1929年に出版した論文であると考えられていたことから,速度-距離関係はこれまで「ハッブルの法則」と呼ばれてきた.
ベルギーの神父であり宇宙物理学者であるルメートル(G.Lemaître)は,ハッブルの論文の2年前の1927年に出版した論文で,一様で質量一定の宇宙に対するアインシュタインの一般相対性理論の方程式の解を導出した.その解によると宇宙は膨張し,銀河の後退速度は距離に比例することが導かれる.さらに彼は42個の銀河に対して当時利用できたデータをもとに,のちにハッブル定数と呼ばれることになる宇宙の膨張率の値も求めていた.
ところがこの論文はフランス語で書かれ,多くの人の目に触れにくい雑誌に投稿されたので,出版直後には広く知られなかった.エディントン(A.Eddington)の紹介で,1931年にこの論文は英文に翻訳されて英国王立天文学会誌に掲載された.ところが,この英文論文では原論文にあったいくつかの節,とくにハッブル定数を求めた節や重要な脚注などが削除されていた.誰が英訳を行ったのか,削除が何らかの意図のある「検閲」によるものであったのかどうかが,2009年頃から関連研究者の間で大きな話題となった.
リビオ(M.Livio)は,王立天文学会誌の当時の編集長であったスマート(W.M.Smart)とルメートルの間でこの件に関してやりとりした書簡や王立天文学会の議事録等を調査した結果,「英訳したのはルメートル自身であったこと,削除に関しては何らの圧力はなく,英訳論文に再掲する必要はないと考えたルメートル自身が決めたこと」という証拠を得た.
宇宙膨張の発見は現代天文学・宇宙物理学の基礎となった重要な発見の1つである.新たに判明した事実を踏まえ,それに重要な寄与をしたルメートルとハッブルの評価がこれまであまりにもバランスを欠いていたと考えたIAU執行部が今回の提案を行った.ハッブルの名前を冠する天文学術用語はたくさんあるが,それらの名称は従来どおりである.この決議は学校教育にも影響があるので,その対応に関して2018年12月に日本学術会議が「提言」を出している.
[提言] http://www.scj.go.jp/ja/info/kohyo/pdf/kohyo-24-t273-1.pdf
【岡村定矩】
図 ハッブルが示した銀河の速度-距離関係
(Hubble 1929, Proc. National Academy of Sciences of the USA, Vol. 15, pp. 168-173)