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時代とともに変わる元素周期表

 2019年は,ロシアのD.メンデレーエフ(1834~1907年)が元素の周期律を発表してから150周年ということで,ユネスコと国連が「国際周期表年」と制定し,世界でさまざまなイベントが開かれた.彼が提案した周期表は「短周期型」と呼ばれるもので,さまざまな変遷を経て,現在の「長周期型」になった.当初は周期表でなぜ元素の性質が説明できるのかわからなかったが,量子力学の発展などで,周期表は原子の構造を反映したものであることがわかってきた.現在の形の長周期型周期表が広く使われるようになったのは,この30年ほどでしかない.
 ここでは,山形大学に残されている1925年の周期表を見てみよう(図).これは,米国のH.D.ハバード(1870~1943年)によって1924年に最初に制作されたもので,当時の最新の研究成果が反映されている.改定が続けられ,米国で長い間高校や大学などで広く使われた.山形大の周期表は,1925年発行の「改訂版」である.
 当時の通例として短周期型だが,現在といくつか違いがある.43番元素は,「マスリウム(Ma)」と書かれている.ここは,日本の小川正孝(1865~1930年)が1908年に「発見」した新元素「ニッポニウム」を置いた位置である.これは再現性がなかったため消えたが,「エカマンガン」としてメンデレーエフが予言していたこの位置の元素は世界中の科学者が探し求めていた.Maは,1925年にレニウム(75番元素:Re)を発見したドイツのW.ノダック(1893~1960年)らが,同時に43番元素も発見したとして発表した.MaがReとともに1925年版の周期表に掲載されていたのだ.Maは長い間掲載されたが,結局,43番元素が1936年に世界初の人工元素テクネチウム(Tc)として発見され,天然にはない元素であることがわかった.小川は「新元素」を43番に置くか,周期表でその真下の75番に置くかを迷ったが,原子量の算定を誤りおよそ100とし,最終的に43番に置いた.小川が作成した元素試料は,現在では1908年当時未発見だったReだったことがわかっている.Reは,最後に発見された安定な元素であり,小川の研究は世界の最先端をいくものだったのだ.
 41番元素を見ると,「コロンビウム(Cb)」と書かれ,現在のニオブ(Nb)とは異なる.ニオブという元素名は当時も使われていたが,米国では,コロンブスに由来するこの元素名が長い間使われてきた.じつは,1801年に最初に発見されたとき,コロンビウムと名付けられたが,ヨーロッパでは1844年に名付けられたニオブが使われていた.1950年に,国際的に「ニオブ」で統一されたが,米国では今でも「コロンビウム」を使っている業界がある.18番元素のアルゴン(Ar)の元素記号が「A」であることにも注目しよう.その他,当時未発見の61番,85番,87番が空欄で,現在「アクチノイド」と呼ばれる元素(89番~92番元素:Ac,Th,Ra,U)が外に出ていないなどの違いがある. 
 時代とともに変わってくる周期表.現在との違いを紐解くのは楽しいものである.

 

【若林文高】


図 ハバード周期表“Periodic Chart of the Atoms”
(H. D. Hubbard, 1925 年
発行)[山形大学小白川図書館蔵]

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