理科年表オフィシャルサイト

もっと身近にサイエンスを      国立天文台 編

MENU

新興感染症

 天然痘撲滅,広域抗菌剤開発やワクチン普及によって,一時は感染症に対し医学は勝利を得たと思われた.しかし1976年エボラ出血熱拡大,1981年HIV感染拡大(AIDS後天性免疫不全症候群),HCV(C型肝炎ウイルス)同定,SARSや高病原性鳥インフルエンザ,新型インフルエンザA/H1N1pdmの流行,HBV(B型肝炎ウイルス)再活性化,SFTS(重症熱性血小板減少症候群),デング熱,ジカ熱流行,多剤耐性菌CRE(カルバペネム耐性腸内細菌科細菌)の拡大,多剤耐性結核,マラリアなど列挙に困るほど新たな感染症の脅威や一度は克服したと思われる感染症の再興に直面している.
 細菌,真菌,結核,マラリアなどは既存の治療薬に対する耐性を獲得し治療が困難となることが問題となっている.
 「細胞の微細構造」(生40)にあるように,細胞内に核を持つ動物や植物,ゾウリムシなどの真核生物細胞には,細胞膜の中に核,核膜とその中にDNA(デオキシリボ核酸―遺伝情報)やタンパク質合成と細胞内物質輸送に関連する小胞体,細胞のエネルギーATP 産生の場であるミトコンドリアなど,多くの構造が存在する.細菌は,DNAが核膜のないむき出しの状態で,ミトコンドリアも存在しないが,独自の物呼吸鎖電子伝達系によりエネルギーを獲得している.また,ヒトの細胞には存在しない細胞壁が存在する.一方,ウイルスは,細胞や細菌と異なり,大部分はDNAかRNAのいずれかの遺伝情報を内部に持った,極めて小さな生物と非生物の境界にあり,細胞内で増殖する.
 

 
 しかし,今回問題となっている新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)も含め,HIV,SFTSウイルスなど新たに人類が直面したウイルスの多くはRNAウイルスである.
 たとえば,一本鎖プラス鎖RNAウイルスはウイルス遺伝子が感染細胞中においてmRNAとしてタンパク質合成を行っている.また,デング熱ウイルス,ウエストナイルウイルス,日本脳炎ウイルスは蚊が媒介する共通性を有しており,MERSコロナウイルスはハクビシン,ラクダなどが介在している.今回流行しているSARSCoV-2もセンザンコウやコウモリが介在している可能性が指摘されている.
 また,高病原性鳥インフルエンザを引き起こすA型インフルエンザウイルスを代表にエボラウイルスも一本鎖マイナス鎖RNAウイルスであり,まず感染細胞内でウイルスRNAがRNA依存性RNAポリメラーゼによってマイナス鎖からmRNAへの合成を経てからタンパク質合成が行われている(図).高病原性鳥インフルエンザを対象に開発され今回新型コロナウイルス感染症治療薬として検討されている薬としてファビピラビル,エボラ出血熱治療薬として開発されたレムデシビルは今回新型コロナウイルス治療薬として認可された.
 

図 RNAウイルスの増殖のメカニズム(Natureより改変)

 
 SARSCoV-2は脂質からなる膜の中に細胞侵入に重要なスパイクタンパク質やエンベロープタンパク質が組み込まれた構造となっており,石鹸によって脂質膜構造が壊されると感染性が失われる.
 細胞への侵入には複数の経路が考えられているが,主要な経路としてウイルス表面に存在するスパイクタンパク質が細胞表面にあるACE2(アンジオテンシン変換酵素2)を受容体として結合することが報告されている.
 新型コロナウイルス感染症(COVID-19)は若年者を中心に8割は軽症であり,咳発熱を見ない方も存在する一方,高齢者,肥満,糖尿病などの基礎疾患を有する方を中心に20%は重症肺炎となり,そのうち30%(全体の5~6%)は致死的な急性呼吸促迫症候群(ARDS)となり重症化することが知られている.その重症化のメカニズムにサイトカインストームによるARDSの誘発と血栓の関与が考えられている.
 一般に,感染細胞はウイルス侵入を察知するとインターフェロンを産生するが,今回重症化率が高い高齢者ではこのインターフェロン産生が十分行われず,ウイルス量の増加が起きるのではないかと推測されている.その後SARSCoV-2が増加する中でインターフェロンなどの抗ウイルス作用を持つサイトカインやIL-6,TNF-αなどのサイトカイン産生が制御不能となり,高い状態で維持され正常細胞まで障害するサイトカインストームが引き起こされることが重症化のメカニズムと考えられている.このサイトカインストームが契機となって急性呼吸促迫症候群が引き起こされてくると考えられている.また重症者では静脈血栓症,特に肺血栓症が多く報告され,血栓形成を中心とした血管障害による脳梗塞,心筋梗塞,腎障害も報告されている.
 現在サイトカインストームを抑制する目的で増加しているIL-6に対する抗体製剤や凝固線溶系に関連し血栓を防ぐヘパリンやナファモスタット投与が行われている.
 COVID-19の病態にはまだまだ不明な点も多く,軽症で軽快した方であっても長期の肺の損傷の影響の評価,また何より中等症以上に悪化することを早めに知る検査データ,重症化を防ぐ薬剤の入手が求められている.一方,ステロイドや抗ウイルス剤,抗凝固剤併用,呼吸器装着患者に対する腹臥位療法による早期抜管など治療方法の確立により治療現場では重症例死亡率の低下が得られつつあるのではと感じている.
 エボラ出血熱にみられるように感染症は今まで一部の地域で限定して存在していたが地球温暖化,森林開発と都市化,人口増大,動植物の輸入,交通手段の発達により感染症の拡大速度が著しく加速されたことにより,日本においても今回COVID-19に医療従事者が対峙する状況となるとともに今後も新興および再興感染症と直面していく可能性も高い.

 

【森屋恭爾】

タグ

閉じる