東日本大震災から10 年 ―ゲノムコホート研究の現状―
東北メディカル・メガバンク計画は,東日本大震災からの復興,および未来型医療の開発を通じて,東北地方をより活性化するために立ち上げられたプロジェクトである.東北大学と岩手医科大学が担い手となり,それぞれ東北メディカル・メガバンク機構を設立し,これまで10年に渡り,地域医療支援や被災地住民の長期健康調査(コホート研究)を実施するとともに,ゲノム情報の収集やバイオバンクの構築・運営に取り組んできた.
コホート研究は,大規模集団を対象にして,長期間,生活習慣や健康状態を前向きに追跡することで,疾患発症に関連する要因を探索する研究手法である.ゲノム情報を含めた遺伝要因の探索も行う場合には,ゲノムコホート研究と呼ばれる.一般住民を対象としたゲノムコホート研究は世界中で実施されている.欧米では,英国UK Biobank(2006 年~;参加者50 万人)や米国All of US(2017年~;100万人をリクルート中)などが,またアジアにおいても中国,台湾,韓国などで20~50万人規模の研究が行われている.さらに,民間企業により運営されるアイスランドのdeCODE研究(1996年~;参加者27万人)では,詳細な遺伝要因の解明のため大昔からの家系情報が収集・活用されている.
東北メディカル・メガバンク計画では,2013 年度から一般住民および家系情報付きのゲノムコホート研究を開始した.2016年度までに,8万人以上の成人参加者からなる地域住民コホート,また妊婦を中心にその親,子の三世代を合わせた家系情報を含む7万人以上の参加者からなる三世代コホートのリクルートに成功した.とくに,後者の子世代は胎児の段階から調査を行う出生コホート研究としても大きな意義を持つ.なお,出生コホート研究は難易度が高く,国外の10万人規模の出生コホート研究は,2014年米国,翌年英国で,相次いで中止になっている.
図 東北メディカル・メガバンク計画の大規模前向きゲノムコホート研究
(イラスト:東北大学東北メディカル・メガバンク機構より提供)
本計画では,コホート研究参加時にベースライン調査(1回目の健康調査)として,アンケート調査,採血・採尿などによる生化学検査に加えて,希望者に宮城県内7ヵ所,岩手県内4ヵ所に設置した地域支援センター・サテライトに来所いただき,詳細な生理学的検査を行った.2017年度からは2回目の詳細調査を実施し,さらに,2021年度からは3回目の詳細調査に着手している.これらの検査結果を参加者にお知らせするとともに,統計データを地域自治体にも還元し,住民の健康づくり施策の立案に役立てていただいている.震災との関連について,沿岸部の住民は内陸部の住民と比べて,メンタルヘルス状態の悪化が見られたことや,地震・津波による家屋被害の程度が大きい者ほどメタボリック症候群の構成要素に該当する者が多いこと,慢性疾患の治療中断が多く見られたこと,などが見出されている.本計画はこれらの発見について,学術的な発表を行うとともに地域社会における対策立案に貢献してきた.
健康調査を通じて得られた生体試料と情報は,バイオバンクに体系的に保管・蓄積している.「メガ」バンクという名前の由来でもある100万本を超えて,すでに参加者から400万本以上の試料を得て保管している.それら生体試料の枯渇を防ぐとともに,集積する情報を広く利用していただくため,当機構ではゲノムやメタボロームなど,最先端のオミックス解析を実施している.試料に加えて,健康調査や上記の解析で得られた情報も備えていることから,当機構バイオバンクのことを「複合バイオバンク」と呼んでいる.蓄積した試料・情報は,外部研究機関や企業から,多様な研究利用申請を受け付け,審査のうえで分譲することにより,利活用を通じたゲノム医療や最先端学術研究の推進に貢献している.
ゲノム解析については,本計画の初期に千人規模の次世代シークエンサーを用いた全ゲノム解析を行い,一般住民の一塩基バリアント(DNAの塩基配列のうち一塩基の個人差;SNV)情報を,個人情報を含まない頻度情報のデータベース「日本人全ゲノム参照パネル」としてjMorpウェブサイト(https://jmorp.megabank.tohoku.ac.jp/)から公開した.その後,解析数を徐々に増加させて,2020年度には約8,300人のパネルに拡張することに成功した.本パネルは多くのゲノム研究やバイオマーカー探索に用いられている.また,同パネルは難病の原因究明ための候補遺伝子変異の絞り込みや,がんドライバー遺伝子変異を調べるパネル検査の結果レポートに用いられており,医療現場でも活用されるゲノム情報基盤となっている.
大規模なゲノム情報収集の実施にあたり,費用面や効率性を考慮して,日本人の一塩基多型(SNVのうち頻度1%以上のもの;SNP)情報の取得に最適化した「ジャポニカアレイ ® 」を設計・開発した.さらに,それを用いて当計画のコホート参加者ほぼ全員のゲノム解析を実施した.得られた情報から,多くの人々が罹患する多因子疾患(いわゆる生活習慣病)に関連するリスクSNPを探索し,発症リスク予測スコア開発に取り組んでいるところである.将来的には,人間ドックなどでの活用が可能な「健診用ジャポニカアレイ」を開発し,個人の発症リスクに応じた早期の保健指導や検診勧奨などの実現を目指す計画である.
当計画は2021年度より新しい段階を迎えた.地域社会や参加者との信頼関係を維持しながら,構築したコホートや複合バイオバンクを個人に合わせた疾患の予防を目指す基盤として発展させていきたい.
【櫻井美佳,山本雅之】