暦部「国民の祝日」をくわしく解説!
国民の祝日とは
昭和 23 年(1948)7 月 20 日、新たに「国民の祝日に関する法律」 (第 178 号)が公布され、当日から施行された。第 1 条で、目的を述べ、第 2 条で日が定められている。それ以前の法律では「祭日及祝日ヲ休日トス」と定義されていたように祭日と祝日があり、お休みの日は、祝祭日と云われたが、この法律では祭日はなく、祝日のみである。現在の理科年表ではこの国民の祝日が暦部の最初に掲載されている。
表 1 国民の祝日に関する法律
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当初の祝日は 9 日であるが、現在(2007 年 )、国民の祝日は年間 15 日あり、
が加えられている。また、成人の日は 1 月第 2 月曜日に変更され、平成になり、天皇誕生日は 12 月 23 日に変わった。他に、昭和 48 年(1973 )4 月 12 日の改正で、祝日が日曜日と重なった場合は翌日を「休日」とする法律が成立して、平成 19 年(2007)のように、これが 4 日にもなると、得をしたような気になる。しかし、すべてが月曜日なので、月曜日を祝日にしている日と合わせると、 8 日も月曜日がお休みで、曜日で行事を作っているところでは、困ったと思うだろう。
祝日の決定は国会の承認が必要であるが、日で祝日が決められていた時代から、最近は曜日で祝日が祝われる傾向にあるのかもしれない。名前が変更された祝日もある。 4 月 29 日は、天皇誕生日、みどりの日、昭和の日と変えられてきた。案外、祝日も時代を反映しているのかもしれない。
第二次世界大戦以前の休日
明治政府は、明治 6 年(1873)1 月 1 日から、それまで使用されていた太陰太陽暦を太陽暦に改暦したが、早くも 1 月 4 日、第 1 号布告で祝日を定義している。「今般改暦ニ付、人日、上巳、端午、七夕、重陽之五節ヲ廃シ、神武天皇即位日、天長節ノ両日ヲ以テ自今祝日ト被定候事」とあるが、日付は書かれていない。 10 月 14 日になり、改めて太政官布告第 344 号で、「年中祭日祝日等ノ休暇日 左ノ通候條此旨布告候事」とし、具体的に日付の付された祝祭日が示された。
元始祭 1 月 3 日、新年宴会 1 月 5 日、孝明天皇祭 1 月 30 日、紀元節 2 月 11 日、神武天皇祭 4 月 3 日、神嘗祭 9 月 17 日、天長節 11 月 3 日、新嘗祭 11 月 23 日。
その後、明治 11 年(1878)6 月 5 日の達 23 号で「春季皇霊祭 春分日、秋季皇霊祭 秋分日」が加えられた。此の春季皇霊祭、秋季皇霊祭の日の決め方は、現在の春分の日、秋分の日の決め方に引き継がれている。春分日、秋分日は、太陽が天の春分点、秋分点を通過する瞬間を含む日を指す天文学上の呼び名である。 旧法では、大正元年 (1912)9 月 3 日勅令第 19 号の改正により、「朕休日に関スル件ヲ裁可シ茲ニ之ヲ公布セシム」とし、「左ノ祭日及祝日ヲ休日トス」と定めて、休暇日から、休日という言葉に変えている。昭和の時代に入り、昭和 2 年(1927)3 月 3 日勅令第 25 号での改正があり、最後の年である昭和22年( 1947)の祝祭日は、 1 月 1 日 四方拝*、 1 月 3 日 元始祭、 1 月 5 日 新年宴会、 2 月 11 日 紀元節、 3 月 21 日 春季皇霊祭、 4 月 3 日 神武天皇祭、 4 月 29 日 天長節、 9 月 23 日 秋季皇霊祭、 10 月 17 日 神嘗祭、 11 月 3 日 明治節、 11 月 23 日 新嘗祭、 12 月 25 日 大正天皇祭の 12 日があげられている。翌年の新法は公布された日からということなので、実際には、昭和 23 年(1948)の 4 月 29 日天長節までは、旧法における休日が休みだったことになる。いずれにしても、お休みの日は増えていくのが見て取れる。
理科年表では昭和 18 年(1943)までは祝祭日、日曜表は別扱いであり、内表紙の後、目次の前のページに枠つきで示されている (図 1 )。第二次世界大戦中の昭和 19 年、 20 年、 21 年は発行されなかったが、戦後初めての、昭和 22 年理科年表には祝日の表は掲載されていない。昭和 23 年には、暦部 5 ページ下段に、「大祭日」として載せられ、昭和 24 年には「国民の祝日」として、下段掲載で、今の形での掲載は昭和 35 年(1960)からである。
【伊藤節子 国立天文台天文情報センター(2006年11月)】
図 1 大正 14 年版理科年表掲載の祝祭日と日曜表
* ここで記されている 1 月 1 日 四方拝は祝日ではあるが、勅令「休日に関する件」の休日にはない。しかし、理科年表では祝祭日として、第 1 冊(大正 14 年-1925)から載せている。