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理科年表と冥王星

 日本が誇る科学データブック『理科年表』。 1925 年 2 月の創刊から、第二次世界大戦中を除いて毎年出版され続け、 2007 年(平成 19 年)版でついに 80 冊となった。科学の進歩をタイムリーに反映する理科年表に、 1930 年に発見された冥王星はどのように登場したのだろうか。

 まずは、理科年表の背景を紹介しよう。創刊号の広告に「一般理学の教育、研究及び応用に便する」とある理科年表は、 1923 年(大正 12 年)から編纂が開始された(内田 1994)。 1 円 50 銭で第一号が出版された 1925 年(同 14 年)といえば、東京でラジオの試験放送が開始された年である。テレビはまだないことから、庶民が情報を得る手段といえば、新聞紙面か、このころ創刊が相次いだ大衆雑誌等からであろう。そういった時代に出版された理科年表は、一歩先を行くデータブックという扱いだったに違いない。

 筆者が小惑星と彗星を担当しているように、理科年表では各分野の専門家がそれぞれの項目を執筆する。現在では、著者向けの締め切りが夏前にあり、編集委員による作業を経て初秋に初校、 11 月下旬には書店に並ぶ。この時期に出版されるのは、南極越冬隊が持参するため、日本出発日までに間に合わせなければならないという歴史的な事情がある。以上から、 2007 年版の理科年表は、 2006 年の夏ごろまでの情報を網羅しているといってよい。

 話題を冥王星に移そう。アメリカのローウェル天文台で冥王星が発見されたのは 1930 年(昭和 5 年)であることから、創刊号から 7 年後の 1930 年版には登場していないだろう。一方で、発見の一報は 1930 年 3 月 16 日付けの日本の新聞に記事が掲載されている(渡部・布施 2004)ため、翌年 1931 年版には載っている可能もある。さて、実際はどうだろうか ? 図書館に並ぶ理科年表や、オフィシャル・ホームページもしくは CD-ROM 版を利用して閲覧みてほしい。

 冥王星は太陽系であることから、理科年表の「暦部」と「天文部」に載る。まず、毎年の暦を扱う「暦部」を見ていこう。最初の解説ページ「凡例」に冥王星が『プルートー』という名前で登場するのは 1938 年版である(図 1)。編集は前年以前の 1937 年や 1936 年と考えられるから、冥王星発見から実に 6 、 7 年は経っていることになる。同じ表現は 1943 年版まで続き、 1944 年版から 1946 年版は第二次世界大戦のため出版が中断された。ところが、再開の 1947 年版になると、表記は『冥王星』に変わり、その後は『冥王星』となる。

図 1 : 1938 年版の暦部・凡例に初めて「プルートー」が登場


 一方の暦の各日の予報位置をまとめる「表」には、 1933 年版から『冥王星』という表現で登場した。つまり、同じ暦部であっても、発見後しばらくは凡例と表では表現が異なっていたのだ。「表」には 1933 年版から 1937 年版まで「グリニジ平均正子」における「赤経(h m)、赤緯(° , ’)、距離(天文単位)」とあり、 1938 年版からは「中央標準時 0h」における「赤経(h m)、赤緯(° ’)、距離(天文単位)」およびキャプションに「分点 : 1950.0」が載っていた。 1950 年版以降は「世界時 0h」における「赤経(h m s)、赤緯(° ′ ″)、距離(天文単位)」に加え、「東京」における「出(h m)、南中(h m)、入(h m)」 およびキャプションに「赤経、赤緯は、 1950.0 に於ける平均位置 + 惑星光行差 - 恒星光行差」 が表記された。 1954 年版からは「東京、中央標準時」に変わった。

 さらに 1960 年版以降、キャプションに「光度 + 16」などと一年分のおおよその明るさの情報が付け加わり、 1985 年からはキャプションに「光度 + 14 赤経、赤緯は、 J2000.0 における天文測定位置」と分点も変わった。翌年の 1986 年版からは、表に「光度等」という項目が入り、明るさも予報日ごとに計算されている。

 地球と各惑星との位置関係により起こる現象については、暦部の「惑星現象」にまとめられている。発見からおよそ 20 年後の 1951 年版から、冥王星について衝と合のみが列記されだした。さらに 10 年近くたった 1960 年版以降は、ほかの惑星と同様に留も加わり、現在に至る。

 次に天文部を見ていこう。まず軌道要素などを列記する「惑星表」には、『プルートー』として 1935 年版(図 2)から 1943 年版まで掲載された。戦争による 3 年間の中断後、 1947 年版以後『冥王星』になっている。「惑星表」下の物理量をまとめた「太陽、惑星および月定数表」には、 1960 年から『冥王星』と掲載されだした。一方で、「天文学上のおもな発明発見と業績」には、発見後すぐの 1932 年版から 1937 年版までは『1930 海王星外の惑星「プルートー」 トンボー 米』とあり、 1938 年版以降は『1930 冥王星 トンボー 米』になった。

図 2 : 1935 年版の天文部・惑星表に初めて「プルートー」が登場


 もう一カ所、冥王星が登場する項目に「衛星の表」が挙げられる。冥王星の最初の衛星 Charon は 1978 年に発見された。その年に編集が行われたと考えられる 1979 年版からは、当初から情報があった発見者名および発見年(Christy 1978)、光度(19)、軌道の標準長半径(1 AU にあるときの見かけの値で、26”)、周期(6.3867日)、離心率(0 .0)が掲載され、その後 1988 年版からは軌道の長半径(単位は冥王星の赤道半径で、 16)、傾斜(冥王星の赤道に対する軌道傾斜角で、 0 度)、半径(590km)、質量(単位は冥王星で、0.12)も載っている。

 このように、時代とともに冥王星に関する情報が得られ、理解が深まるにつれ、理科年表上の情報も増えてきた。一方でそのタイミングは、各項目の執筆担当者にゆだねられていた様子がうかがえる。

 最後に、冥王星がドワーフ・プラネットとなった 2006 年に編集が行われた 2007 年版について見てみよう。原稿の締め切りであった夏前は、従来通りの編集方針であった。ところが 8 月に冥王星の分類が変わり、初校前にぎりぎり反映できる可能性が出てきたのだ。そこで、冥王星やドワーフ・プラネットの執筆項目に関係する担当者間で電子メールによる議論を行った。表や図の増減は他のページにも影響を与えるため、変更が最小限になるよう、かつ利用者に有益な最新の情報を提供できるように体裁を決定した。

 その 2007 年版の「暦部」に冥王星が登場するのは、これまで通 りの「凡例」、「表」、「惑星現象」に加えて、解説記事「惑星の定義」が最後のページに掲載されている。「凡例」、「表」、「惑星現象」の各ページには、先の解説記事を参照と明記してある。一方の「天文部」では、これまで通り「惑星表」と「太陽、惑星および月定数表」、「衛星の表」に加え、「小惑星」のページ内に「ドワーフ・プラネット」という項目で冥王星が登場する。スペースの関係もあり、小惑星の軌道長半径に対するヒストグラムはドワーフ・プラネットの Ceres の画像に置き換えられた。これらの項目は、 2008 年版ではさらに改良が加えられる予定であることを示しておこう。

【参考文献】
内田正男『こよみと天文・今昔』、丸善株式会社、 1994
国立天文台編『理科年表 机上版 平成 19 年』丸善株式会社、 2006
国立天文台編『理科年表 CD-ROM 2006』丸善株式会社、 2005
渡部潤一・布施哲治『太陽系の果てを探る』東京大学出版会、 2004

【布施哲治】

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