神経疾患の遺伝子解析 ― 応用編
遺伝病の本質は、遺伝子(DNA)に異常 (変異)が生じたために蛋白質の異常をきたすことです。遺伝病での遺伝子変異にはいくつかの種類があります。
1)突然変異 ―― 1 個または数個の塩基が別な塩基に置き換わる(置換 )、余分に入り込む (挿入 )、失われる(欠失)などを言います。欠失は染色体の一部のような大きなものも含めます。一塩基置換の場合は、アミノ酸が 1 つ違う蛋白質ができる可能性がありますが、挿入や欠失の場合は、アミノ酸に対応する DNA の暗号の読み方が狂う(これをフレームシフトと言います)ことがあるため、蛋白質ができないことも含めて大きな異常が起こります。
2)トリプレット・リピートの異常伸長 ―― 人間の DNA には繰り返し配列(リピート )が多く、特に 3塩基(トリプレット)の繰り返しが正常人にも非常に多いものです。正常範囲を超えて異常に伸長した場合に病気になります。
3)染色体異常 ―― 染色体の数や形が変化した場合、などです。
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図 1
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遺伝病は親から子へ伝わりますが、遺伝子変異の種類とは別に、遺伝形式にはいくつかあります(図 1 )。
1)常染色体優性遺伝形式 ―― 両親のどちらかが発病者で、子も 50 %の確率で発病する (異常遺伝子が 1 つあるだけで発病するので優性と言います )
2)常染色体劣性遺伝形式 ―― 両親がいとこ同士で、同胞だけが発病する(両親は劣性の変異遺伝子を 1 つずつしか持たないので両親は発病しません )
3)X染色体劣性遺伝形式 ―― 発病した男性の同胞の女性から生まれた男子だけが発病する (男性は X染色体を 1 本しか持たないので、劣性でも発病します )
4)母性遺伝 ―― 母親からのみ伝わるものでミトコンドリア遺伝子によるもの、などの形式があります。
母性遺伝以外の遺伝病は、46 本の染色体のどこかに局在している異常遺伝子(病気を起こす責任遺伝子とも言います )によって引き起こされます。表 1 には、染色体に存在する遺伝子の異常による神経疾患の例をいくつか挙げ、それぞれに簡単な解説を加えてあります。
さて、各遺伝病における遺伝子異常を明らかにするには、まずその遺伝子がどの染色体のどの付近に局在 (遺伝子座)しているのかを知る必要があります。それを可能にしたのが 1980 年ごろから始まった DNA の「多型を用いた連鎖解析」です。「多型」とは、血液型のように正常人の中に遺伝子で規定される形質に異なるタイプがあるものを言います。ヒトの DNA 塩基配列にも多型があることが知られるようになり、その多型を示す塩基配列を含む短い DNA 鎖を放射線や蛍光色素などでマークすることにより、病気の有無と多型のうちのある 1 つの型とが常に関連している (これを連鎖していると言います)かどうかを調べることを「連鎖解析」といいます。1983 年にこの方法がハンチントン病で初めて成功し、第 4 染色体(大きいほうから 4 番目) に遺伝子座があることが発見されました。続いて 1986 年にはデュシェンヌ型進行性筋ジストロフィー遺伝子異常が X染色体上のジストロフィン遺伝子の欠失によることが発見されました。1991 年以降には脊髄小脳変性症のいくつかの型やハンチントン病での遺伝子が次々と同定され、その異常が CAG リピートの異常伸長であることが分かりました。その後今日まで、多くの遺伝性神経疾患について責任遺伝子の同定がなされ、遺伝子診断が可能になっています。
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図 2 遺伝子診断と遺伝性神経疾患
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実際の遺伝子診断には、採血した少量の血液中の白血球から採取した DNA を用います。問題はむしろ、遺伝子が同定された神経疾患の遺伝子診断の際の倫理的問題です。インフォームド・コンセントが丁寧になされる必要があること、発病の危険性はあるが今は正常である人達の発病前診断を行うことの是非、妊娠中の胎児の出生前診断は行うべきでないこと、などです。図 2 に示したように、治療法や予防法がある病気か、生命や人格にかかわる病気か、という 2 つの側面から考えると、神経疾患は 4 種類に分類できます。表 1 に挙げた病気と突き合わせて下さい。この図 2 の右上に位置する病気については安易に発病前診断を行うべきではないと私は考えます。遺伝学の専門医あるいは遺伝カウンセラーなどに相談するべきでしょう。
【金澤一郎 日本学術会議会長(2008年 7月)】