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ゲノム科学が解明するホモ・サピエンスの進化 トピックス後日談を公開!

 生物の起源や進化の研究は,20世紀の終わり頃までは,主として化石の証拠をもとに進められてきた.一方,今世紀になると生物の持つDNAの配列が比較的簡単に読めるようになり,その情報をもとにした大規模な生物進化の研究が盛んに行われるようになった.今日では,人類の進化についても化石だけではなく,DNA情報をもとにした研究も重要になっている.とくに2010年以降は,次世代シークエンサという高速で大量のDNA配列を読み取る装置が実用化し,それまでミトコンドリアのDNAしか解析できなかった古代人の研究でも核ゲノムの解読も可能になったことで、この分野の研究は爆発的に進展した.
 今のところ,最も古いヒトのゲノム情報は,スペインのシマ・デ・ロス・ウエソス洞窟から発見された43万年前の個体から得られている.この化石はゲノム情報から,私たちホモ・サピエンスの最も近縁な親戚であるネアンデルタール人の祖先であると考えられている.ヨーロッパと中東,そして西シベリアに分布し,4万年ほど前には絶滅したと考えられているネアンデルタール人については,これまでに20体以上のゲノムが解析されており,さらに同時代に生きたデニソワ人のゲノムについても詳細な解析が行われている.シベリアの洞窟から発見されたデニソワ人は,数本の歯と小さな骨片しか残っておらず,その姿形が不明なまま,ゲノム情報だけで新種の人類と認定された謎の人類である.彼らとホモ・サピエンスのゲノム解析から,デニソワ人はシベリアから東アジア,さらには東南アジアの広い地域に住んでいたと推察されており,これらの地域で既に発見されている化石人類の誰がデニソワ人なのか興味が持たれている.
 最近では洞窟の堆積物から古代人のDNAを回収して解析する技術が開発されており,私たち以外の人類についても急速にゲノム情報が集積している.ネアンデルタール人やデニソワ人のゲノムが明らかになったことで,これまでゴリラやチンパンジーとしか比較できなかったホモ・サピエンスのゲノムの特徴も,より詳細に知ることができるようになっている.ゲノム情報をもとにした「私たちの本質は何か」という研究が進められており,近い将来にはその答えが提示されることになるだろう.
 化石の証拠からは,ホモ・サピエンスは20~30万年前にアフリカで誕生したと考えられている.図に示したように,古代人のDNAの分析からは,ホモ・サピエンスがネアンデルタール人とデニソワ人の共通祖先と分かれたのは60万年ほど前のことだと推定されているので,現状ではホモ・サピエンスに至る道すじの前半部分についての化石の証拠はないことになる.今後の化石研究は,この空白の時代を埋めることを目指すようになるだろう.
 古代人のDNA解析で最も重要な発見は,近縁な人類同士の間には頻繁に交雑があったことが示されたことだろう.ホモ・サピエンスは長らくアフリカで暮らしており,何度か出アフリカを試みた末に,6万年ほど前になって世界拡散を成し遂げた.そしてその過程で,私たちより前にアフリカを出た人類との間で交雑を起こし,彼らのDNAを取り込んでいったことが明らかになっている.アフリカにルーツを持つ人以外の人たちは,ネアンデルタール人由来のDNAを数パーセント持ち,東南アジアやオーストラリアの先住民の中には,さらにデニソワ人のDNAを持つものがいる.歴史の中に消えたとされるこれらの人類も,実際には私たちの隠れた祖先だということになる.古代人のDNAは,これからもホモ・サピエンスの進化の道すじに何があったのか,驚きの答えを提示していくことになるはずである.

【篠田謙一】


図 ゲノムデータから推測された人類の進化系統と交雑の様子
(Ancient gene fl ow from early modern humans into Eastern Neanderthals, Nature 2016より改変)

 


■トピックス後日談■

「古代ゲノム解析にノーベル賞」
 2022年版の理科年表のトピックスで,「ゲノム科学が解明するホモ・サピエンスの進化」について解説した.それに関連して,同年にドイツのマックス・プランク進化人類学研究所のスバンテ・ペーボ博士が「絶滅した人類のゲノムと人類の進化に関する発見に対する貢献」によりノーベル生理学・医学賞を受賞している.そこで本稿では,彼の受賞に至るまでの古代ゲノム解析の発展について説明する.
 1980年代の終わりに微量なDNAを増幅する技術であるPCR法が実用化したことで,古代試料にわずかに残るDNAの分析が可能になった.しかし古代試料のDNAを解析するためには,コンタミネーション(現代人のDNAの混入)を防ぐ方法の確立と,試料からの効率のよいDNA抽出方法の開発が必要だった.古代DNAの分析に最初から関わっていたペーボ博士のグループは,これらの問題の解決に大きな役割を果たしている.
 彼らは1997年にネアンデルタール人のミトコンドリアDNAの一部領域の解析に成功し,私たちホモ・サピエンスと彼らのミトコンドリアDNAの配列は大きく異なっていることを明らかにした.その後に行われた他の機関によるネアンデルタール人のミトコンドリアDNAの解析結果も彼らの結論を支持するものだったので,2000年以降にはネアンデルタール人はホモ・サピエンスの世界展開に際して,交雑せず絶滅したと考える学説が受け入れられるようになった.
 しかしこの定説を覆したのは,またしてもペーボ博士のグループだった.2010年以降に古人骨のDNA分析に用いられるようになった次世代シークエンサは,それまで不可能だった核のDNAの分析を可能にした.核のDNAは両親から伝わるので,混血の情況を正確に知ることができる.彼らはこの技術を使ってクロアチアのヴィンデジャ洞窟から出土したネアンデルタール人3体の核DNAを分析した.その結果,アフリカ人を除くアジアやヨーロッパの人びとには2.5%程度の割合でネアンデルタール人のDNAが混入していることを突き止めた.ネアンデルタール人とホモ・サピエンスが遠い昔に分離したのであれば,両者が共有する変異は,アフリカ人でも他の集団でもすべて等しくなる.しかし,そうではないのは,ホモ・サピエンスが6万年前以降の初期拡散の過程で,アフリカ以外の地域でネアンデルタール人との間で交雑したことを示している.
 ペーボ博士のグループは同年にデニソワ人のDNA解析にも成功し,ホモ・サピエンスが世界展開をする中で,未知の人類とも交雑をしたことを明らかにしている.この年以降,人類の系統や集団の形成に関して,古代DNAを解析した研究が次々に発表されるようになり,人類の進化や現代人集団の形成に関する研究は全く新しい段階に達することになった.過去30年にわたってペーボ博士が主導した古代DNAの解析は,今や人類学だけではなく歴史学や考古学,言語学といった学問にも大きな影響を与えるようになっており,ヒトとは何かという問題にも新たな結論を導こうとしている.

【篠田謙一(2023年1月)】

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